決勝の舞台に立つなんて、約1年ぶりだ。
それまで自分はどこにいたのだろうと思わされる。
スポーツは決勝戦だけが主役ではないが、周りから評価されるのは決勝戦だ。
少し皮肉にも感じる現実を実感するために、選ばれた8名の選手。
招集場所には殆ど人間はいなかった。
各々が自分の創り上げたイメージを忠実に再現するために集中力を高めるだけの空間になっていた。
そういった意味では選手というよりアーティストに近い存在だろうか。
4レーンの腰ナンバーを両腰に付ける。
なるべく前の方につける。
写真判定の時に有利になるからと聞いたことがある。真相真意は誰も知らない。
お互いの会話は無かった。
単にコミュ障な訳ではない。
それだけメンタルのできていない高校生には余裕が無かったのだ。
「競技を楽しむ」といった発言は競技を楽しめていない人間が言う言葉だ。
人間は常に理想を口にするが、それは理想であって現状はその逆にいることが定石だ。
俺は競技は勝負だと思っているから、楽しもうなんてことはしない。
「男子100mの決勝に進む選手の皆様、移動をお願いします」
「行こうぜトモヤ」
「うん」
お互いにリュックに腕を通してスタート地点に向かう。
「決勝なんて観れると思ってなかったよ!二人とも頑張ってね!」
ありがとう。声には出なかったけど、嬉しかった。
一列に選手が並んで移動する。
才能とか努力とか度外視して、何かのファイナルに残るということはすごいことなのかもしれない。
応援する側と応援される側の比率を考えたらすぐに分かる。
決勝では名東高校のプライドをかけて走り切って見せる。
女子の100m決勝が滞りなく盛り上がっている。
そして、始まる男子100mの決勝。大会記録は10.71。
俺たちは意識していた。
スターティングブロックの足合わせ。4レーンの重たい発射台を精密に調整する。
「正直、本当にまた走れるとは思っていなかったよ、トモヤくん」
俺のライバルはよくしゃべるやつだった。
「俺もまた走るとは思ってなかったよ、決勝は楽しくやろうと思ってる」
「楽しく、、、ね」
俺は先にブロックを蹴って、逃げるようにスタートした。
この場でのコミュニケーションは得意じゃない。
先生やみんながスタート付近のスタンドで手を振っている。
手を挙げて一礼する。
簡単なことだ。みんなが待っている場所に誰よりも速く走って、帰るだけのことだ。
スターティングブロックから1.5mくらい後ろに立ち、選手紹介を待つ。
この瞬間も久しぶりだ。
「4レーン夏木トモヤくん名東高校」
アナウンスがなり、スタンドからは少数の拍手が聞こえた。
アナウンサーも「名東高校」なんて初めて口にしたことだろう。
そして、9レーンのトオルまで呼ばれ、会場が一気に静寂と化す。
失敗は許したくない。
オンユアマーク、、、、、
180秒ほど前に設定したブロックの角度に足を設置する。
まっすぐにゴールを見つめて、視線を下に落とす。
これらの動作にオリジナリティは求められない。
全ては「集中」の二文字に集約されてしまう。
限界まで高まった集中力は雷管が弾ける音と共に100m先に向けて放出される。
俺は1歩目を誰よりも先に出した。
40m地点までは堂々のトップ。
レースは後半に差し掛かるところで、分からなくなった。
70mでセイゴが肩を並べる。
本当のことを言うと、この瞬間で勝てないと思った。
90m地点ではあいつの背中を追っていた。
フィニッシュタイマーの速報は10.75。風は-1.6mだった。
藍川セイゴの独走状態だった。
そして、2位に入ったのは巴ダイジロウ。
悔しかった。
電光掲示板に正式結果が表示される。
1着藍川セイゴ 10.75
2着巴ダイジロウ 10.82
3着夏木トモヤ 10.85
、
、
6着石橋トオル 11.03
スタンドでの水上館高校の応援が大きく聞こえた。
負けてしまった。
「トモヤ、お前表彰式あるだろ。そんな顔すんなって」
チームメイトに励まされる。
トオルは今大会で10秒台を出し、アベレージも高めてきている。
お互いに次の大会にコマを進めた。
北陸新人戦に。
まだ、リレーが残っているだろ?おれ。
切り替えなくちゃ。
昔のライバルに負けて、悔しい気持ちは誰にも分からないだろうけど。
そんなこと言ってちゃチームに迷惑だ。
「トオルありがとう」