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陸上短距離の選手がユーチューブを始めた理由と衝撃の過去

今回は初の「特別企画」です!

私がなぜユーチューブを始めたか?一体どんな過去を歩んできたか?を紹介させていただきます。

なかなか濃い時間を過ごしてきたと思います。ホントに。

小学校中学校は野球をしており、ポジションはキャッチャーでそこそこできました。

その時は甲子園を目指して、強豪校に入学を決意していました。

野球が大好きでした。

しかし、現実は違いましたね。

私は市外から高校に時間をかけて通っていました。

朝は早くから母親に送ってもらい、帰りはバスで2時間30分。正気の沙汰ではないです。

そこまでして野球がしたかったのでしょう。

なんと一週間で退部しました。

正直全く面白くなかったです。

私にはあの環境が合わなかったんだと思います。

両親にも必死になって謝ったことを覚えています。

ということで、3年間通わないといけない高校を最初の1週間で、間違えて入学してしまいました。

取り返しのつかないミスですね。

しかし、学校はどこかしらの部活に入ることを強制してきた覚えがあります。

楽そうだなと思って入った部活動が「陸上競技部」です。

入部したのはいいのですが、めちゃくちゃしんどかったです。

中学校の陸上部が楽そうなイメージがあったので、陸上競技は楽なスポーツだと勝手に思ってました。

このチョイスミス。

今思ったら、文化系の部活でもよかったのかなと思います。

いや、陸上競技でよかったかもしれないです。

ということで、高校一年生の自分を一発殴りたくなりました。

部活動は毎日の参加が義務付けられていました。

いかに速くなるかを考えてトレーニングすることが普通だと思います。

当時の私は「いかにサボれるかを必死になって考えてトレーニングする」っというのがポリシーでした。

まさに我流トレーニングですね。

正直、チームにとっては有益な選手ではないでしょう。

そんな中、記録会に出場しました。

岐阜県の多治見市というところで行われた試合です。

確か男子100mの27組目くらいで出場しました。

記録がなかったので、中学生とかと一緒に走ったような記憶があります。

雷管の音が鳴って、勢いよく跳び出しました。

その時は最高のスタートが切れたと勘違いしてました。

案の定、注意を受けたのは私。

次は置きに行って12.37でしたね。

人生初の400mは出場枠が空いているということで岐阜県新人戦にエントリーしました。

正直、全く出たくなかったです。

どうせ予選で落ちるなら、出ないほうがマシでしょっと思っていました。その時は。

予想通り56.14で安定の予選落ち。

マイルリレーは東海新人戦にコマを進めました。

なんと、その東海新人戦に私が出ることになるのです。

マイルの選考タイムトライアルでたまたま勝って、リレーを走ることになりました。

あまり覚えてないですけど、とりあえず速くはなかったと思います。

リレーってあんなに緊張するんだと思いました。

もう走りたくなかったです。

ところで、なんで私が選ばれたのか疑問に思いました。

私の鋼のメンタルで恐る恐る監督に聞きに行きました。

速いやつが走る

答えは単純なモノでした。しかし、腑に落ちません。

理解できません。だって、速くないし、モチベーションも低いし、サボるし。

次に「走れ」と言われたら、断ろうと思いました。

シーズンが終わり、先輩とラーメンへ。

そこは汚くて安くて旨いラーメン屋でした。

先輩もおかしなことを言います。

ここまできたら「陸上競技」というスポーツに対する不信感が湧いてきました。

とんでもないスポーツを始めてしまったなと。

それだけ周りに期待されていたのか?ただからかわれていただけだったのか?

どちらでも関係ないですが、とにかくこの競技が怖くなったことを覚えています。

そして、陸上競技には謎の神話があります。

一冬超えたら最強になれる

これもうさん臭いにおいがプンプンします。

ただ家に帰って、真剣に考えてみたら

この一年だけマジメに取り組んでみよう」と思ったのです。

そこから人が変わったように練習しました。

あくる日もあくる日もあくる日もあくる日もあくる日も。

陸上競技のことだけを考えて生活しました。正気の沙汰ではなかったです。

2年生で49.46まで伸ばすことができました。一年間ってすごいなーと実感しました。

このスポーツには人の人生を変えられる力があるのだとそこで確信しました。

私みたいな底辺の人間がチャンスを広げられるステージを用意してくれました。

おそらくそのような選手は他にも多くいることでしょう。

なぜなら私はごく普通の高校生だったからです。

そんな生徒が周りに淘汰され自信を失い、自分までも見失ってしまう社会がすでに10年前から構築されつつあったのです。

私はそれを社会問題ととらえました。

だから、一人でも多くの選手がスポーツによって、もう一度、自分を取り戻せられるような社会を構築したいと思って、今の「ユーチューブ」という活動を始めました。

陸上トレーニングスクールのスローガンである

総ての競技者が最高の瞬間に出逢えるように

このスローガンはこのような私の想いから付けさせていただきました。

高校一年生の時は、競技に対してなんの感慨もないような私でも自分を信じることができるようになりました。

高校二年生は先輩に手を引っ張っていただいて優勝。

高校三年生の時は後輩の手を引っ張って優勝。

私の中で嬉しかったことは、高校二年生の時のマイルメンバーは私以外全員三年生。

高校三年生の時のマイルメンバーは私以外全員二年生。

運命のようなものを感じました。

このチームで陸上競技に全力で取り組むことができて、良かったと心から思うことができました。

私の過去の経験や知識を多くの選手に届けたいと思います。

そして、一人でも多くの選手が陸上競技によって、最高の瞬間に出逢えることを祈りながら、動画配信の方を続けていきます!

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