勝利を決める戦いに出る。
100m走は一切のミスが許されない。
決勝という舞台の緊張感は特別なものだ。
多くの人はそのプレッシャーや重圧を感じることはないだろう。
心地よいものではない。
でもどこか本能的でミステリアスな雰囲気を感じることができる。
そして、その雌雄を決する戦いが始まろうとしている。
天気は快晴でアナウンスが山に跳ね返ってやまびこのように聞こえる選手紹介。
それを終えて、ゆっくりとスタートラインぎりぎりに両手の人差し指と親指を沿わせる。
「セット、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、」
耳で聞く音では遅れてしまう。
皮膚に当たった音で跳び出す。
「ぱっっん!!!」
藍川セイゴが大外から抜けた。
やはり準決勝では実力を隠していた。
トオルがそれを抑えるように水上館メンバーに台頭する。
内側のレイジも怒涛の追い上げを60m付近で見せる。
レースはハイレベルな混戦だった。
県クラスのレースではなかったことは確かだ。
ゴール手前で微かに藍川セイゴと並んだ。
俺は追い越す側だ。捉えた。
残り10mの出来事だった。
時間にしたら1秒もないだろう。
高校で初めてのタイトルを獲得した瞬間だった。
記録は10,66
スタンドからは歓声が沸き上がっていた。
ジャイアントキリングを達成した瞬間だ。
ここが目標ではなかったが、一つの通過点としてみたらとても幸せな時間だった。
俺はレイジとトオルと勝利をたたえ合った。
全員で北信越総体の100mに出られる。
「北信越では同じように行くと思うなよ」
巴ダイジロウはそう言い残して、帰っていった。
まだ、リレーやカイの200mが残っている。
気持ちを切り替えて今日のことは忘れよう。
スタンドに戻ると、真波先生やマネージャーがいた。
「いやー、いいレースだったね!ハードル運びながら見てたよ!みんなおめでとう。」
よく言う先生への恩返しってのはこのことかもしれない。
よく分からないけど、たぶんそうだ。
「トモヤくん表彰式がもうすぐあるからエントランスに来るようにって役員の人がさっき来たよ!本当におめでとう!」
陸上競技は個人戦だと思われがちだが、その裏ではチームの支えがあって努力がある。
その表彰式があるんだろう。
決して自分一人の表彰じゃない。
3位のトオルとエントランスに行くと、すでに藍川セイゴがいた。
無言で横に座る。
「本当は君と一緒に陸上がしたかった。でも、陸上部の無いような高校に進学すると聞いて失望した。君なら強豪校でプレーすると思っていた。」
中学の時に県では一度も勝てなかったライバルからの告白だった。
「今日で分かったよ、君がどんな苦悩を抱えて名東高校で競技を続けてきたかを。僕が甘かったんだね、でも北信越は譲らない。」
表彰式は名東高校の少数と水上館高校の多勢でスタンドを覆っていた。
スタンドは盛り上がりを見せていたが、正直表彰される3名は微妙な心境だった。
1位の台にみんなが乗って写真を撮るようなこともしなかった。
そんな感じで県総体の初日が終わった。
家に帰ると両親がご馳走を作って待っていてくれた。
「まだ2日間もあるのに夕食張り切りすぎじゃない?」
と母親に聞くと、
「あと2日もこのクオリティで行くよ!」
と返ってきた。
明日のリレー、カイの200m応援もフルスロットルだ。
県総体二日目のリレー。
予選は順調に通過。タイムは41,88
少し雨がぱらつくコンディションだけど、まだまだタイムは上げれそうだ。
全員調子がいい分、バトンが詰まり気味だった。
カイは明日の200mがあるからいい刺激になっているだろう。
走順は変わらない。
トモヤ、レイジ、カイ、トオルの順番だ。
次はもう決勝だ。
リレーは最終種目になるから、時間が空いてしまう。
小さな範囲で高校の陣地をとってブルーシートで作った基地は居心地がいい。
決勝まではチームのみんなと過ごす。
昼ご飯は母さんが特製のおにぎりだ。
具は梅干し、シーチキン、昆布の三つ。
あんまり食べ過ぎると走れなくなるから、あとはゼリーなどでカロリーを摂取している。
雨の日のレースは不安にあるな。
しっかりアップはしておかないと。
リレー決勝2時間前になると本格的に雨が降ってきた。
雨天走路でドリルやスタートを確認する。
距離が短い。もっと走りたい。
という気持ちはあるが、雨に濡れてしまうよりはマシだと思ってアップをした。
リレーの招集に行くために着替える。
「俺も表彰台立ちたかったなー」
レイジは独り言のようにつぶやく。
「これから立ちに行くだろ」
ユニフォームを着ながらトオルがそう言った。
決勝はまた5レーンだ。
招集を終えて、誘導員に付いていく。
案内される場所が各々のスタートラインだ。
当然、水上館高校も名東高校より0,12秒好タイムで決勝に残っている。
その日のスタートは少し様子が違った。
自分の身体ではないようにコントロールが効かなかった。
雨が降りしきる中。
激しくなってきた雨量のせいでチーム紹介はカットされ、すぐにレース開始の合図が鳴る。
「いつも通りだ」
と自分に言い聞かせる。
跳び出した。
雨粒が目で見えるような天候の中、加速する感覚はスピード感を鈍らせる。
81m地点でレイジがスタートを切った。
「ヤバいっ!追いつけない!間に合わない!!」