期末テスト前に決まった突然の新入部員勧誘レース。
それは誰も予想していなかったことだろう。
そのレースに出場するのはレイジ、カイ、そして石橋トオル。
「ならグランドで勝負だな!やってやるよ!」
意外にもレイジとカイは楽しそうにしている。
グランドにいる真波先生が新しい選手とマネージャーを見たらびっくりするだろうな。
そんなことを思いながら、全員(島本さんは制服)トレーニングウェアに着替えて河川敷のグランドに向かう。
道中は異様な雰囲気が支配していた。
後から知ったのだが、石橋トオルは陸上経験があって記録は100m11.40らしい。
試合には殆ど出ておらず、趣味程度で競技をしていたそうだ。
レイジとカイは記録だけ見たら勝てない相手だ。
ただ4月から現在7月中旬まで、チームで取り組んできたことは決して無駄ではない。
インターハイ出場の目標はどのチームより強く意識していた。
確かに石橋くんは実力はあるが、陸上はそれだけではない。
河川敷のグランドで練習を積んでいる我々に地の利がある。
試合会場まではジョグで10分くらいのところにある。
と言っても手造りのグランドだが。
久しぶりに無言でグランドまで着いた。
真波先生はいつも通り河を眺めていた。
「先生、今日から入部するかもしれない石橋トオルくんとマネージャーの島本すみれさんです。」
キョトンとした面持ちで、
「するかもしれない?」
「そうなんです。」
先生に事情を説明したら大爆笑された。
「笑い事ではないと思うんですけど、、、」
「笑い事でしょ!レイジもカイもしっかりアップして負けないでね!」
そう言って2人に檄を飛ばす。
とりあえず名東高校流のアップをしようと思って、石橋くんを誘う。
「石橋くんそれじゃアップからいくね」
「トオルでいいよ。久しぶりに動くからお手柔らかに頼むねー」
物凄くラフな感覚でウォーミングアップがスタートした。
少しずつ距離を縮めていこう。
最悪、2人が負けたとしてもトオルには絶対に入部してもらうつもりだ。
絶対に。
千載一遇のチャンスにかけていた。
今日は試合の想定として体操まではチームで行って、その後は個人のフリーアップの時間を60分設けた。
想定外の出来事にも関わらず、アップはフリーなんて皮肉なものだ。
俺は先生と一緒にトオルの走りを観ていた。
「あんまり走ることとか分からないけど、なかなかいい走りしてるんじゃない?」
先生はそう言いながらiPhoneで撮影していた。
今後の練習に役立つようなデータ収集は怠っていない。
「そうですね、フォーム自体は綺麗だと思います。」
レイジとカイはほぼ初心者みたいなものだ。
フォームもまだ初心者走りがしっかり残っている。
走り込んでいるだけの走り方だとバレバレなくらいに。
しかし、今はそれでいい。
全く知らないレベルの高い選手と走ることで、何か自分に足りないものを発見してくれると信じている。
トオルはスパイクに履き替える。
このグランドを知っていたのか、土用のアンツーカーピンを持参している。
100mの流しを観ると、やはり走りが2人よりも仕上がっている。
おそらく受験中も練習していて、最近もしっかり走っているのだろう。
俺にはすぐに分かった。
走るセンスは誰にでも平等にあると思うが、トオルはそれ以上の資質を持っているかもしれない。
まだ入部するか分からない選手に対して、熱い気持ちが込み上げてきた。
2人は各自でアップを進めている。
いつもみんなで練習している時と同じようにルーティンに擬えたスタイルのアップ。
レイジは30mのダッシュを複数本やって、ピッチを上げていく。
カイは100mの流しをリラックスして2本走っていた。
みんなバラバラの方法で勝利に向けての布石を丁寧に打ち続ける。
たった一本の勝負。それも公式戦ではないのに。
それぞれの表情は真剣そのものだ。
俺としては現部員に勝ってほしい。
でも、それ以上にこのレースを観たいという感情が強かった。
客観的に観るレースでここまで面白さを感じられるレースは他にあっただろうか。
それだけチームメイトに思い入れがある。
そして、勝負の時だ。
「俺はいつでもいけるよ」
トオルはレースの開始を促す。
2人も準備万端だ。
このレースのルールはスタンディング60m走だ。
俺の合図で3人はスタートし、真波先生がゴールで順位を判定する。
風はほぼ無風で、条件としては申し分ない。
選考レース用に均しておいたレーンを使う。
各々が無言でスタートラインに立つ。
緊張が今にも爆発しそうだ。
肩の力を抜いて、前脚に9割の体重をかける。
フライングしてしまう寸前まで加重する。
3人がピタッと静止する。
島本さんも真波先生の横で、この独特の雰囲気を見守る。
いよいよ新しい選手が入部するかもしれない瞬間だ。
見逃せない。