1月の中旬。
受験勉強が本格化してくる中で、俺は近くの競技場に向かっていた。
曇り空に今でも、雨が降りそうだ。
ただの気晴らしで、外に出てみただけだ。
走るという動作を辞めたから、もうどれくらい経つだろう。
そんなことを思いながらゆっくりと、いつも練習していた場所に近づく。
あれだけ熱をもって取り組んでいた競技。
ポッカリと穴が空いたような気分の毎日はなぜだろう。
いつも入ってくるのは難しい数式と読んだこともない文字。
吸収しているモノの差は歴然のハズなのに。
まだどこかで諦めきれない自分がいるのだろうか。
いろいろ思いを交錯させている間に、いつもの競技場に足が止まる。
今日は高校生が貸し切りで強化練習会を県が主催しているらしい。
スタンドには保護者や引率の先生が、間隔を空けて座っている。
俺はなるべく人がいるところを避けるように、席に座る。
高校の県トップクラスの選手が一堂に会していた。
もしかしたら、こんな未来があったのだろうかと、遠くから選手を考察する。
あの時、観客は選手に何を求めて、試合を観に来ていたのだろう。
結果?成長?人情?
おそらく多くの要素はそれらをひっくるめて「陸上競技が好きだから」だと思う。
単純だからこそ考えてしまうところが、人間の悪いところだ。
スタンドで15分くらい練習を観ていると、雨が今にも降りそうだったので、、重い腰を上げて帰ろうとした。
「2レーンお願いします!」
300mのスタート地点から少しだけ上ずった声で呼びかける選手がいた。
走り出すと、そのフォームはしなやかで、多くの選手がその通過を観察している。
最終コーナーを抜けるとひょうひょうと勢いを殺さないでゴールする。
ちょっと待てよ。
あれは、、、
そうだ!!
その姿は全中の準決勝で肉離れをして姿を消した藍川セイゴだ。
驚いた。一言で表すには足りないほどの驚きだ。
300mをフィニッシュすると、手元のストップウォッチでタイムを計測。
30秒後にはプラス100mのスタートを切っている。
無駄のないトレーニングに、まるで中学生とは思えない。
あの事件から数か月、藍川セイゴはしっかりとトレーニングを積んでいたのだ。
走り終えると、高校の先生らしき人物とコミュニケーションをとっている。
もう進路は決まっているのだろう。
俺は訪れたことのない感情のあまり、持ち上げたつもりの腰をもう一度下す。
終わっていなかった。
そう心の中で自分につぶやく。
彼は終わりと決めてなかった。
競技への執着心がこの光景を創っているのだろう。
たくさんの感情が入り乱れる。
一つの迷いもなかったのに。
雨も降ってきた。
走っていた生徒が少しずつ、競技場の室内に入っていく。
帰ろう。
もしかしたら夢かもしれない。
傘もささずにスタンドを出ようとしたとき、
「夏木トモヤくんだよね!?」
競技場から声がする。それは雨音でかき消されそうに聴こえてきた。
俺は聞こえないふりをして、スタンドを出る。
なぜ振り返らなかった?
振り返ったら何か、今の自分が変わっていたかもしれない。
なぜ受け止められなかった?
後悔をにじませながら階段を下りた。
きっと彼は俺に似た誰かに向けて叫んだに違いない。
そう思うのは、そこには競技者としての夏木トモヤがいないからだ。
競技場の外にある長いスロープを足早に去る。
逃げるように。
競技場の出口にたどり着くと、謎の安心感を抱えて、その場を後にする。
「やっぱり、夏木トモヤくんだよね?」
雨の中、息を切らせながら藍川セイゴがいた。
寒空の下。
「練習頑張ってるみたいだね、それじゃ、、、」
もう競技から離れた俺に言えることは全部言った。
これだけしかなかった。
あんなに勉強したのにもかかわらず。
「目標は一年生でインターハイの決勝に残ること!待ってる、もう一度走ろう。」
俺は首を横に二回振って、
「ありがとう、またいつかね」
それだけ言って、雨の中、帰路に戻った。
夏木トモヤには選択肢が2つある。
陸上に戻るか。
勉強を続けるか。