3月中旬。名東高校の受験日当日。
藍川セイゴに会った日から1か月以上が経過している。
心境の変化は特にない。
だからここに来た。
競技を卒業して、普通の高校生になると決めたのだから。
名東高校の校門は年季が入っていて、サビついている。
自分の心を映しているようで、心外に値する。
ほとんどの生徒が、独りで受験会場に向かっている。
その人の波に溶け込むように、俺は歩を進める。
まだ、少し寒い季節だ。
朝はホットココアで狭い面積ではあるが、舌をヤケドした。
これはいつものことなので、ルーティンとしては申し分ない。
受験という制度は同世代ごとの学力を別けるためにあるとすれば、そこに意味はあるのだろうか。
どうもナンセンスに思えてしまう。
同じ学力の生徒が集まっただけでは、上を見ることを忘れてしまうのではないだろうか。
天敵のいない世界では、どれだけいい風が吹いても鳥が飛べないように。
飛ぶ必要がなくなった鳥は、飛び方を忘れてしまうのだ。
これから受験する生徒がこんなことを考えていてはバチが当たるだろう。
ただ受験の意義を理解していないことには、この受験戦争では生き残れない。
俺は天敵を失った鳥と同じだ。
襲われることも卵を割られることもないのだから。
だから、偉いと定義される人間は若年層に外を観せないのかもしれないね。
過保護だから傷付けたくないんだと思う。
受験という制度はそういった慈愛と無成長のハイブリッドだ。
争いを良質な意味で捉えない日本にとっては、良くできた制度ではないだろうか。
ただ、俺を外に連れ出してくれた唯一の陸上というツールは手元にもう無い。
天敵はもういない。
本当の天敵は自分自身の閉鎖的な思考回路かもしれないね。
受験するクラスに到着すると、注意事項のプリントが周りの生徒と同じように配布されている。
まだ集合時間まで20分くらいあったので、近くの誘導看板を見てトイレに向かう。
友だちと一緒に受験しに来ている生徒は廊下で不安を打ち明けながら、心の中では闘志を燃やしている謎のガールズトークが繰り広げられていた。
実に不愉快だ。
謙遜のカケラもないのにも関わらず、自信なさげな言動には呆れてぐうの音も出ない。
割と遠く感じたトイレに着く。
特に用事は無かったが、それっぽいことをしてまた教室に戻る。
残り5分の時点で、先生が入ってくる。
とてもダルそうな雰囲気をプンプンさせながら、教卓に立て掛けてあるパイプ椅子を広げて椅子を軋ませる。
30代くらいの教員。
定刻になる。
その人が注意事項を淡々と読み上げた後に、テストと解答用紙が配られる。
前列の人に配りそれを後ろに回す方式ではなく、一枚一枚その教員が配った。
配り終えると、パイプ椅子に深く腰掛ける。
「今日1日は私が試験管です。だから、悪いことはしないようにね。それじゃ試験を始めてください。」
時計の針がピッタリ『9:30』になった瞬間のスタート。
類い稀な時間感覚だと感心しながら、テストを始める。
その時間は夢中になって解答した。
気付けば17時になって最後のテストも終わっていた。
「みんなの採点は私以外の先生がするので、楽しみに待っててねー、それじゃ帰ってもいいよ」
高校の教員というのはここまでラフな人なのかと思わされるほどだ。
俺は問題用紙を全てリュックに入れて、教室から姿を消す。
校門の前では、この期に及んで、写真を自撮りしている不謹慎な中学生もいたが、横目にスルー。
人事を尽くして天命を待つという言葉を聞いたことはないのだろうか。
そして、サビついた校門を出る。
俺は小寒い道を一人で歩いていると、後ろから走ってくる陰気臭いやつ。
「あの、よ横の席の。君から見て左側に席に座っていた。」
そいつが手に持っていたのは、俺の受験番号が書かれた机に貼られていた紙だった。
「こういうの記念に持って帰るもんだろ」
と謎の説教を受けた。
俺はコクリとうなずくとそのまま帰ろうとする。
「ちょ、ちょっと待てよ!夏木トモヤだろ?あの100mの??」
不思議な感覚だ。
知らない人が知らない場所で俺のことを評価してくれていたなんて。
キョトンとした表情のまま固まっていると、
「寄道カイ(ヨリミチカイ)って言うんだ、元々陸上をやってたけど、辛くて逃げてきた。それにしても3年間頑張ったよ、ホントに」
なにも聞いていないのに勝手に自己紹介された。
お互いに当たり障りのない話をして家路についた。
「それじゃ、また会えるといいね」
家に帰ると、晩ごはんも食べていないのに寝てしまっていた。
「たぶん高校に入って最初にできる友だちになりそうだな」