『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』30.まさかの、まさか | 陸上トレーニングスクール  

『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』30.まさかの、まさか

100mの招集場所にはたくさんの選手がいた。

 

窮屈に感じるが、島本さんが敷いたブルーシートで陣地が守られているから気にならない。

 

トオルは手際よく招集を済ませて、女子の100mを観ながら集中力を高めていた。

 

陽気なレイジは俺と一緒に招集をする。

 

「個人で初めての招集って緊張するな!」

 

全く緊張していないことが見て取れる。

 

腰ナンバーを付けて、スパイクピンを見せるだけの作業だ。

 

難しいことはないが、この招集をミスして有名選手が欠場になることもたまにある。

 

日々の努力が一瞬にして消え去る時だってある。

 

どれだけ崇高に研いだ刃でも、帯刀して抜刀しなければ意味がない。



その覚悟表明が招集である。コールとも言う。

 

水上館高校の陣地に藍川セイゴもさっきぶつかりそうになった奴もいる。

 

楽しく談笑している様子だ。

 

予選だからリラックスしているのだろう。

 

定刻よりも早めに招集を済ませた俺は、競技場の外に出てコンクリートでダッシュをする。

 

場内にいると息が詰まる。

 

新鮮な空気を吸って、リラックスしたい。

 

そして、自分の走りを確認して、自分の走りに自信を持ったり愛を持ったりしたい。

 

そのために一人になりたかった。

 

心の準備をして、名東高校のメンバーと合流する。

 

「よし!予選から楽しんで行こう!」

 

俺は不安を払拭するように言った。

 

そして、ブルーシートに体操座りしていた島本さんが、言葉をもって鼓舞する。

 

「みんなビビってないで!名東旋風みせてね!」

 

この激励を心に受けて、100mのスタートに向かう。

 

誘導員に2列に並ばされる。

 

第4コーナーの奥に長椅子が置いてあり、各々が自分の席に着く。

 

早速レースが始まりそうだ。

 

少しだけ時間を押しているようで、運営サイドもピリついているのが分かった。

 

最終コールを流れ作業のように済ませる。

 

ライバルとは目を合わせない。

 

プライドが無ければ、どれだけ楽なことだろうか。

 

1組には藍川セイゴが出る。

 

そして、レイジもその組にいる。

 

面白いレースになりそうだ。

 

少し表情が硬いレイジに対して、

 

「ビビっての?」

 

「ビビってねぇーし!」



笑顔が取り戻される。

 

「それでは1組の人はブロックを合わせてください」

 

俺はレイジの背中を軽く叩いて送り出した。

 

緊張の瞬間だ。

 

パァン!パパッア!!

 

フライングだ。レイジではなかった。

 

横のレーンの選手だ。

 

大丈夫。集中だ。

 

パァン!パパパっ!!

 

フライングだ。レイジだった。

 

レイジは訳が分からない幼稚園児のように、レーンから引っ張り出される。

 

「何で俺が失格なんだよ!?」

 

俺は慌てて事態の救済に入る。

 

「すみません!ちょっとレイジこっちに来い!」

 

俺とトオルはフライングについて説明した。

 

「じゃあ、俺の個人種目もう終わり?」

 

「終わりだよ」

 

まだ理解できていないようだが、ようやく正気を取り戻したようだった。

 

1組目のフィニッシュタイマーは藍川セイゴが止めて11,18だった。

 

落ち着いたレイジは、肩を丸めて先生がいるスタンドへと向かって行った。

 

「負けるなよー!」

 

そう言い残して。

 

2組目は水上館高校の気に食わない奴が走っていたタイムは11,29で1着だった。

 

そして、3組目は俺が走る。

 

久しくこの緊張を味わってはいなかった。

 

このレースで完全復活してやる。

 

スタートはゆっくり余裕を持って出ると決めていた。



俺は両脚をスターティングブロックのプレートに合わせて、合図を待つ。

 

高揚感が押し寄せてくる。

 

その高揚感はどんな向い風よりも強かった。

 

走り切ったのは一瞬だった。

 

フィニッシュタイマーを止める瞬間まで見えた。

 

11,00 正式タイム10,99 確かに感覚が戻っていた。

 

これならいける。

 

まだ、ギアを上げられる。

 

4組目のトオルさ11,30のベストで1着通過。

 

レイジは悔しいに違いなかった。

 

これだけタイムを出されたら、ライバル視をしている選手であれば、歯痒いだろう。

 

「トオル、ベストおめでとう!」

 

俺はゴールで待ち構えていた。

 

「ありがとう!決勝ではトモヤに勝つからな」

 

最後に入部したメンバーとは思えない意識の高さだった。

 

2人でスタンドに行って先生に報告しようと荷物をまとめる。

 

「トモヤくんおめでとう、ちゃんと走れるようになったみたいだね」

 

そこには藍川セイゴと気持ち悪い奴がいた。

 

「いやー嬉しいよ、また同じように走れるなんて思ってなかったよ」

 

どこか嫌味に聞こえるのは俺だけだろうか。

 

「セイゴもう行くぞ、時間の無駄だろ?」

 

そっちが話しかけてきておいて時間の無駄とはどういうことだろうか?

 

「トモヤは強いですよ、あなたより」

 

トオルの一言を聞こえなかったフリをして水上館高校のメンバーは去っていった。

 

次は準決勝だ。ぜってぇ負けねぇ。

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