『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』12.桜の木に夢を | 陸上トレーニングスクール  

『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』12.桜の木に夢を

入学式当日。

 

目覚まし時計の感情のないアラーム音が鼓膜を突き抜ける。

 

それに少しの容赦を加えたチョップで応える。

 

いつもより少し早めに設定したアラームで、カラダを起こす。

 

まだ肌寒い風を窓を開けて取り込む。

 

大きく背伸びをして、窓から10cmほど溢れた日差しを顔に浴びる。

 

今日から始まる。新しい生活。新しい挑戦。

 

一階に降りて、まずは少し温めた水で顔を洗う。

 

そして、歯を磨いて、トイレに入る。

 

テーブルには朝食が用意されているだろう。

 

トースト、ハムエッグ、ミソスープ。

 

スマホのニュースを見ながら食べたいところだが、家族ルールでそれは禁止。

 

横目でテレビを見ながら、食べ終える。

 

少し早く起きたこと以外は全て同じ日常。

 

しかし、これからの日常がいつもとは非日常。

 

名東高校は家から自転車で20分もかからない場所にある。

 

8時からクラス表が張り出され、各々がその教室に行く。

 

だから、5分前くらいに着こうと思っている。

 

「母さん行ってくるよ!レイジが待ってるからさ」

 

「はーい、いってらっしゃい!」

 

家の外で待っていたレイジ。

 

2人で自転車を回しだす。




「体は鈍ってないか?」

 

「もちろん!もうお前より速いぜ」

 

「その調子で頼むよ」

 

陸上部の会話を繰り広げながら、陸上部のない高校の入学式に向かう。

 

今日は妙に赤信号で止まらされる。

 

予定通りに高校には到着するが、これでは張り出しピッタリの時間帯だ。

 

レイジは至って、楽観的にクラス発表を楽しみにしている。

 

これに関しては、自分が心配したところで何も変えることはできないからな。

 

下り坂の上では自転車を回さなくても進むように、そんな感覚で進んでいく学校生活が待っているのだろう。

 

自分から漕ぎ出すことがなければ、それで終了。

 

まだ入学もしていないが、これからの学校生活に残された時間が少ないことを俺は知っていた。

 

陸上競技で結果を残すための時間の少なさを知っているからだ。

 

これはどんなことにも応用して言えることだが、とにかく時間は有限でそれを惜しみなく使う必要がある。

 

無駄な時間なんて1秒もないのだ。

 

その1秒を削る戦いだから。

 

高校に着くと誘導の看板を持った先生の指示で、自転車を駐輪場に運ぶ。

 

たぶんもうクラス表は張り出されている。

 

足早に進む列に身を任せて、無造作に置かれたスクラップ置き場のようなところに愛車を置く。鍵をかける。

 

「クラス、観に行こうぜ!」




緊張感と楽しさが入り混じる雰囲気の海に飛び込む。

 

「一緒のクラス!俺のこと覚えてる?寄道カイだよ!」

 

たしか、受験した日の帰り道に話しかけてきた気がするヤツ。

 

「俺も一緒だぜ、トモヤ!」

 

どうやらみんな一緒のクラスらしい。

 

なんとなく今後の心配が無くなったような感覚がある。

 

まだ熱気が冷めない掲示板を、サラリーマンが満員電車をかき分けるように抜けていく。

 

あの魚のようにするする通り抜けるスタイルだ。

 

1日の体力をこんな学校行事に遣いたくない。

 

とりあえず、自分のクラスが分かった3人は1年E組に向かう。

 

まだクラスには数名の生徒しかおらず、その誰もが初対面である。

 

友だちを作るのが苦手な俺は黙って、席に着く。

 

校門でもらった配布資料に目を通すフリをしながら、朝礼までの時間をやり過ごす。

 

途中でカイが不安になってこちらに来たので、相手をしてあげた。それだけの時間。

 

そして、定刻になると担任?らしき先生が体育館で集会があると生徒をクラス単位で移動させる。

 

俺はその波の一つになって、体育館まで運ばれる。

 

早く終わってくれないかと、心では思っている。

 

生徒が一つの場所に集まると、やはり少し圧倒される。

 

ここで生活するとなると少し気が引けるな。

 

自由を拘束されることが嫌な俺にとっては住みにくい環境だ。

 

校長のありがたい話しや、モブキャラの謎の校則ルールの説明を淡々と受けた。

 

冷たい床が帰りたい気持ちを加速させる。

 

大人は規則や法則を得意げに語るが、実際の理由や捉え方については何も語らない。

 

それを語れない環境で育ってきたからであろう。

 

口を開けば、人の自慢か過去の栄光。




「しょうがない」や「仕方ない」で塗り固められた人生観が、その異様を普通の感覚にしてしまったのだ。

 

そんな薄い話の締めくくりは「この意味がいつか解る」というものだ。

 

当の本人も解っていないと思うが。

 

という話しを永遠に聞かされ、何の意味もない気化された言葉は陳腐に並べられていた。

 

進学校の名東高校ではやはり勉強が中心の生活になるだろう。

 

しかし、俺はその反対を突き進む。まあ勉強もそこそこはするが。

 

というより、強い部活はこの高校にはない。

 

ほぼ全員趣味でやっているのだろう。

 

なんかそんな感じがする。

 

このままいくと、俺だけ(できたら陸上部だけ)宙に浮いた存在になるだろう。

 

それでも目標のためだ。

 

周りを気にしている時間が勿体ないことも分かっている。

 

桜の木に笑われても、新しい夢の始まりを告げたい。

 

明日から部活の勧誘が始まる。

 

まだ誰だか分からない担任に相談してみよう。

 

陸上部創設案を。

 

少しの期待と少しの不安。

 

3年間は短い。絶対にやり遂げて魅せる。

『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』13.陸上部創設案

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