『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』20.マネージャーからの手紙

梅雨も明けて、本格的な暑さがコンクリートを照り付ける。

 

セミの鳴き声とガリガリ君。

 

扇風機の前でテレビを観ていた。

 

セイコーグランプリの録画したやつ。

 

少し前に行われたトップスプリンターが集う日本最高峰の大会の一つだ。

 

もうテープがすり減るまで観た。テープではないけど。

 

「あと一人誰か入ってくれねーかなー」

 

俺はソファーに寝転がる。

 

進学校の名東高校でスポーツをする生徒はもちろん少ない。

 

ましてや、今年からできたような弱小陸上部なんかに入ってくる物好きはもっと少ないだろう。

 

今ならすぐにレギュラーになれるのに。

2年後の大学受験に今から準備している生徒ばかりだ。

 

そもそも大学受験ってそんなに魅力的なのか?

 

大人は大学に行かないと就職できないからといって子どもを、とりあえず大学に出す。

 

それって誰が言ったのだろう。

 

俺が考えるには、それは事実ではなく観念だ。

 

詰まるところ、ただの思い込みというやつだ。

 

人間は思い込みという檻の中で生きている。

 

少し前の俺がそうだった。

 

大学に行かないとダメという謎の観念が、多くの生徒を洗脳している。

それは頭のいい教授や産学連携しているどこかの偉い社長が、大学という会社に利益を持たせるために作り上げられた常識である。

 

その常識を個人単位で観念として植え付ける。

 

そしたら、発信者に利益が入る仕組みの出来上がり。

 

この流れに抗うことはできない。

 

そういう時代だから。

 

だから名東高校の陸上部の門を叩いてくれる生徒は受験勉強があるといって、なかなか集まらない。

 

そんなにパーソナルな観念の中で生きるのが楽しいのかと思うが、それはそれでその人の人生だから仕方がない。

 

リアルにあと一人リレーメンバーを集めなくてはならない。

 

今日は13時からの午後練習だ。

 

気怠い勉強を1時間だけ集中して行い、おにぎりを食べて、部室に向かった。

 

とにかく暑い。

 

部室に向かうまでに大量の汗をかく。

 

信号で止まると、今まで自転車で風を切って走っていたので、急に暑さを感じる。

 

うちわを止めた感覚に似ている。

 

新人戦のエントリーはお盆休みに入る前までが締め切りだ。

 

この7月で何とか見つけるしかない。

 

躍起になっていた俺はいつも通り一番に部室に到着した。

 

部室の横にダンボールで作った簡易的なポストに何か入っている。

 

ちなみにこのポストはそこそこクオリティが高い。

 

しっかり赤色の塗装も施されており、郵便マークも付いている。

 

暇人を極めるカイが作ってくれた。感謝。

 

「手紙、、、?」

 

可愛らしい封筒が入っていた。

 

裏を見ると「名東高校陸上部様」と。

 

今日は土曜日だ。

 

昨日の練習終わりにはポストに何も入っていなかったはず。

 

いろいろな思考を巡らせたが、結局分からなかった。

みんなが来てから開けるか?それとも俺がこの場で開けるか?

 

迷わず開けた。この本の作者ならそうするだろう。

 

丁寧な字で驚くべき内容が書かれていた。

 

初めまして 島本すみれ です。

陸上とか全然分からないけど、グランドとか作っちゃってすごいなぁって見てました。

私は走ることはできないけど、マネージャーとかしたいと思っています。

キャプテンの人、迷惑じゃなかったらLINEください。島本すみれ

 

全文読んだが、全く内容が入ってこなかった。

 

カイとレイジがげらげら笑いながら歩いてきた。

 

「お!ポストに何か入っていたのかよ!ちょっと見せてくれよ!」

 

レイジが急いで駆け寄る。

 

「キャプテンって俺だよな?」

 

自信なさげに俺は言った。

 

「そうだけど、それがどうかしたのかよ?」

 

レイジがそう言って、続けて手紙を音読し始めた。カイも真剣に耳を傾ける。

 

「いや、キャプテンは俺だよ」

 

と、レイジが言い出した。

 

3人で大爆笑が起きる。

 

「うそうそ、キャプテンはトモヤだよ!LINEしてみたらどうだよ?ID載ってるだろ?」

 

リレーメンバーを募集していたのに、まさかの女の子、それもマネージャーとして。

 

名東高校陸上部初のマネージャーだ。

 

丁重におもてなししないと。

 

とりあえず、まだ練習が始まる時間ではないので、みんなでLINEで送る文章を考えた。

 

「ラフにいって大丈夫だろー」

 

「うん、その方が緩い感じが出ていいよね」

確かに、創設一年目の陸上部がゴリゴリの礼儀を押し付ける部活なわけがない。

 

「これはどうかな?」

 

「いや、まず登録しろよ(笑)」

 

レイジに笑われた。確かにそうで、テンパっていた。

 

初めまして!キャプテンの夏木トモヤです!

次の月曜日の放課後、グランドに練習に行くので部室に来てください。

 

みんなは納得した感じだ。

 

「早く送れよー」

 

めちゃくちゃレイジは楽しんでいた。

 

俺は少し、いや少しじゃない緊張をしながら登録して送った。

 

練習以上に疲れた。

 

「この陸上部にマネージャーなんて入ると思わなかったね」

 

カイはトレーニングウエアに着替えながらそう言った。

 

本当にそうだ。誰も何も予想してなかった。

 

ピコン!!

 

一斉に俺のiPhoneを見る。

 

「すぐに返信しようぜ!ここで逃したらもうマネージャー入ってこないぞ!」

 

俺はすぐに既読を付けたくなかったが、好奇心に負けて、メッセージを開いてしまった。

 

ありがとう!なら月曜日に私の幼馴染で陸上やっていた子がいるから連れていくね!

良かったら一緒にリレー走ってあげて!ちなみに彼氏じゃないから!!

 

そんなことある!?!?

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