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『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』2.過去から見る現在

人生に疲れ切った俺は私立高校の願書を書いていた。

周りの連中が雑踏のように志もない学び舎の名前を空欄に埋める。

親には私立高校は受けないと言ったものの反対され、大きな波に流されるようにペンを滑らせている。

 

人生に目的があるとすれば、それは目標がないことだ。

 

そこに疑問を感じない限り、足並みを揃えることになる。

しかし、俺はそれでいいと思う。

昔のように競ってトップを目指すような競争社会は一部の才覚ある人間だけで楽しむものだ。

今は勉強をして、周りから良く思われる人間になることが、一番賢い選択だと決め込んでいる。

 

私立高校の願書は宛名のない恋文のように思えた俺は、ただただ記入事項に文字を落とし込んで、それを教卓に置いた。

この日は、もう下校だ。

 

グランドでは1年と2年の新体制になった陸上部がミニハードルを使って練習をしていた。

おそらく間隔の広いスピードバウンディングだろうと専門的な考察をするも、今となっては興味のカケラもないので横目にスルー。

 

「トモヤ!後輩の練習を見てやってくれないか?」

 

60mくらい離れた位置から大きな声で呼びばれた。

その先には陸上競技部の顧問山谷(ヤマタニ)先生がいた。

俺は陸上を引退してから、毎日のように同じタイミングで声をかけられる。一種のイジメにも感じられることは、先生には感じられてないだろうな。

そう言われて、グランドの後輩の動きを少しみて、

 

「もう俺に教えられることはないですよ、先生」

 

と、大きな声で返した。先生の近くには行きたくないから大きな声で返した。

そしたら、なぜか珍しく先生が走ってきた。

俺はその場から直ぐにでも立ち去りたかったが、この日は先生と少しくらいなら話してもいいと思った。

先生が来て、生徒の注目が集まると、

 

「トモヤ先輩が練習に来てくれたぞ!」

 

多くの生徒が挨拶に来てくれた。

嬉しい反面、もう帰って勉強したかったが、生徒との挨拶を終えて、先生とベンチに腰を下ろした。先生が自動販売機で買ってきた130円のお茶はこの寒い季節でもコールド仕様だ。

山谷先生は自動販売機の冷却装置とは真反対の性格だ。怒らないし、優しいし、何より生徒の意見を尊重して自由に好きなことをさせてくれる。

県内でも強豪の中学高校になれたのは山谷先生のおかげだ。そして、山谷先生のおかげで俺も夢の舞台に立つことができた。

 

「今でも覚えています。あの最高の舞台で走れたことには感謝しています。ただ今の俺じゃ、先生の期待には応えられそうにないです。」

 

先生はうつむくように自分の買ったペットボトルを強く握る。その六角形が形を変えるように当時と今の想いは変わっているのだろうか。

 

「今でも期待してるさ、君は私に夢を見させてくれた。君のおかげで、喜びや感動をもらった人がいることは紛れもない事実じゃないか?」

 

俺は溢れ出しそうな感情と同時に、冷たい飲み口に唇を押し当て、飲み干した。

過去には戻れない。戻ったとしても、どうせ同じことの繰り返し。

先生の目は透き通った真っ直ぐな眼差しをしているが、もうその眼に俺は映るような選手ではない。

「先生ありがとう、俺帰って勉強しなくちゃいけないんですよ。」

 

「私はいつでもトモヤを応援しているよ、嫌になったらグランドに戻ってきなさい。」

 

その言葉がどれほど優しくて辛いものか。

難しい感情は抜きにしたい。もうすぐ12月だ。周りに負けないように勉強しよう。

今はそれしか自分を保てない。

 

 

「お前、わざわざグランドから駐輪場行かなくてもいいだろ?」

 

レイジは不思議そうに市立図書館の売店で、俺にそう言う。

たぶん解っているのだろう。俺の未練に。

ただそれはお互い様で、それを言葉にしたのがレイジだっただけの話し。

 

「俺のルーティンなんだよ。グランドを通って帰らないと勉強に集中できない」

 

筋が通っていないのは分かってる。

俺は今でも憧れているのかもしれない。

昔の俺に。そして、どこかで羨ましく思っている。昔の俺に。

本格的に勉強を始めて3ヶ月が経つ。勉強はそこそこ出来ていた方だ。あとは、問題に慣れるためにたくさんの問いにチャレンジする。

 

多くの出題に遭遇するたびに、本当の問題は後ろに隠れてしまっているのだろう。

一体、何が問題で本当に解かなければいけない問いは何なのか?

教科書や問題集の教育はそれを教えてくれない。

図書館ではレイジと東名高校の数学の過去問を解いた。

びっくりすることに二人とも全く同じ点数。

解答時間はレイジのほうが3分ほど速かった。

今回のお互いの点数は合格ラインの数字ではあったが、優越感に浸ることなく、いつもと同じように閉館のチャイムが流れる。

もしかしたらこのチャイムを聴くために、連日の足を運んでいるのかもしれないと思うくらいに心地がいい。

あたりは真っ暗で切れかかった街灯が二人を照らす。

「サッカーって面白いんだぜ?なんで辞めなくちゃいけねーんだろうな」

 

そんなこと俺は知らない。いや、どこかで分かっていたかもしれないが、帰り道のレイジはその問いに対する返答を待ってはいなかった。

俺たちは【諦める】という共通点で繋がれているらしい。そして、【落とし込む】という妥協点で、正当化している。

 

「もう今日は遅いから帰って少しだけ、勉強して寝よう」

 

もう12月。

この忙しい受験シーズンにベラベラと無駄話をしてしまったな。

『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』3.叶わなかった理想

『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』1.夏木トモヤと大春レイジ