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『今だけでいいから駆け抜ける勇気をください』40.冬季練習に入る前の大事なこと

先生の言いつけを守った選手はいなかった。

 

全員が何かしらのアクションを起こしていたらしい。

 

ということで1年生の10月後半がスタートする。

 

誰一人として身体を鈍らせた選手はいない。

 

しっかり休めていないことも問題だが、それ以上に自分で現状を分析して、練習をしてしまったことに対して先生は何も言わなかった。

 

移行期は何をしようかと悩んでいたけど、真波先生がメニューを考えてきてくれた。

 

学校の授業が終わり、少し寒さを感じる河川敷のグランドに集まる。

 

ロングタイツの季節がやってきたのだ。

 

「それじゃー今日からまた練習再開するね!まず今週は10km走!!それと流し5本で終わり!」

 

驚きのメニューだった。

 

全員にはてなマークがよぎる中、俺は必死に練習の意図を探った。

 

「それってサッカーやってた時も走ってたけど、実践じゃあんまり役に立たないぜ」

 

レイジは過去の経験をもとに考察してみせた。

 

「でもやるからには意味があるだろ、先生!俺はゆっくりなペースでフォームを固めるように走りたいですけどいいですか?」

 

トオルは自分のイメージを率直に真波先生に伝える。

 

「せいかーい!冬季練習に入ると走り込みがメインになるから、フォームを確認できなくなる。だから、それまでに正しいフォームを定着させておきたいんだよね」

 

確かにその通りだった。

 

短距離種目は非常に繊細な競技で数ミリ単位のミスが大きなタイム差になってします。

 

だから、知らないうちに間違ったフォームを続けてしまうと、それが大きな欠陥になる。

そのリスクを冬季練習に入る前に回避しておこうと先生は考えたのだ。

 

かなり陸上競技について勉強してきていると、選手ながらに思った。

 

一般的な移行期のモデルは球技をやったり体操をやったり、いつも陸上競技で使わない筋肉を使うことが定石だった。

 

勿論、それも正しい。

 

しかし、名東高校陸上部は基本を徹底する期間を設けた。

 

グランドの土を接地面の真下で押しながら進むイメージを10kmの区間で研ぎ澄ます。

 

もしかしたら10kmでは短いかもしれない。

 

各々が真剣に時間をかけて10kmを噛み締める様に走る。

 

それは短距離を走っているようで、ジョグのペースだった。

 

少し言葉に矛盾があるかもしれないが、とても幻想的な走りだった。

 

島本さんはジョグを個人個人で断片的にiPadで撮影している。

真波先生はいつも通り河川をずっと観ている。

 

俺は自分の走りのイメージを固めながら、ゆっくり時間をかけて丁寧に接地する。

 

みんなの表情も真剣そのものだ。

 

60~70分かけて走り切った。

 

思った以上に疲労感が残らなかった。

 

「レイジはどんなことを意識して走ったの?」

 

「俺はレースの後半だな!いつもゴール前で走りが硬くなるから10kmはずっとリラックスしながら走ったぜ」

 

それも正解だと思う。

とにかく、練習に正解は無い。

 

これをやったから速くなったなんて練習は無いのだ。

 

ただ一つ、確実に速くなる方法は「失敗し続けること」だ。

 

この10km走で自分の非効率的な走りが浮き彫りになった。

 

つまり意図した練習ができなかったという失敗だ。

 

次の10km走で改善したいことが得られたなら、それが速くなる方法なのではないだろうか。

 

真波先生は選手の成功よりも失敗を求める。

 

つまり、成功の法則を知っているから、練習に失敗させる要素を盛り込むのだ。

 

俺が言うのもなんだけど、めちゃくちゃ巧妙だ。

 

練習の中に無数に仕掛けてあるトラップにハメようとする練習こそが理想の練習だと確信しているのだ。

 

真理を突いているからこそ、教員の世界では生きにくいみたいだけど、少なくとも俺たち陸上部は信頼している。

 

全員が走り終わって、島本さんから映像を見せてもらう。

 

自分の思っていた走りを出来ていた選手は一人としていなかった。

 

「俺ってこんな変な走り方してたっけ?」

 

少し驚くカイは一人で跳び出して先生にアドバイスを求めに走っていった。

 

映像は嘘をつかないな。

 

少し休憩して流しに行くときにカイが戻ってきた。

 

「腰抜けって言われた!どーゆーこと?」

 

カイは納得できないまま帰ってきたみたいだ。

こうやってヒントを出してくれるのも真波先生のいいところだ。

 

俺たちはカイの走りに対してアドバイスを並べる。

 

おそらく部活動でしか得ることのできない幸せな時間だった。

 

お互いを見つめ合い、高め合い、成長し合う時間。

 

辺りは少しづつ暗闇に包まれていったが、河川敷のグランド付近には街灯や電柱が多くあるため比較的に明るい。

 

その日の流しはシーズン中より、質の高い走りができた。

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