10km走のトレーニングは終わった。
2週間同じメニューを続けたが、1mmも飽きが来ることはなかった。
真波先生は、反復練習が好きだ。
条件を揃えた練習をすることで、善し悪しの比較ができるからだ。
多くの選手は、1つの練習の真価を理解しないで慢心する。
ただ、それをチーム全体で許さなかった。
徹底的な追及にトレーニングの真意があるのだと、常に自分たちがやっていることを疑った。
今日は11月の第一週だ。部員は全員一年生。
今思うと、他校は先輩と一緒に新体制で練習しているのだろうな。
3年生は受験のシーズンで躍起になっている。
それは名東高校も同じだ。
毎日遅くまで学校に残ったり塾へ行ったり、とにかく3年生は大変そうだ。
幸い、この陸上部の学業成績は中の上くらいのメンバーばかりだ(カイを除いて)。
勉強については1年生が悩むことではない。
今はこのチームのミッションを達成することが重要だ。
勉強というのは価値が薄い。すなわち希少性が低いということだ。
理由はみんな同じ範囲の勉強をしているからだ。
しかし、それが有名国立大学や大手私立大学に進学することによって、飛躍的に希少性が高まる。
近年では大学のネームバリューで企業採用しないと豪語する人事担当者もいるが、それは嘘だ。
適当に学歴フィルターに通しておけば、1/10くらいには応募者を絞れる。
そこからはもしかしたら人柄かもしれない。
人間が機械的に厳選されていくシステムが既に構築されているのだ。
だから、人事担当者は大変そうにしているが、実際は分からない。
真波先生は色々なことを知っていると感心する。
練習に向かうために部室で着替える。
「11月はマッチョになるよ!」
真波先生は11月は走らないという。
今月はウエイトトレーニング月間と位置付けているのだ。
全く持って謎だ。
しかし、反論できる根拠はどこにもない。
「10月で定着させた走りに筋力を付け加える。要は骨に肉を付ける工程だね」
理論的には家を建てるイメージだ。
骨組みを造ったら、そこに内装や外壁を造っていく。
この理論が陸上競技において正しいかは分からない。
ただ筋が通ったトレーニングだと全員が理解した。
種目はスクワット、ベンチプレス、ハイクリーン、体幹補強で、これらを順番に回していく。
勿論、全く走らないわけではないので、各種目が終わったら、校庭を端から端まで10往復フロートをする。
スポーツに注力している高校ではないが、フリーウエイトのセットは一式存在していた。
しかし、誰にも使われておらず、新品同様だ。
体育館下のコンクリート廊下にセットを用意する。
各種目のトレーニング方法を誰も知らなかったから、YouTubeで見て、それを真似した。
「これがハイクリーンなんだね!」
「って先生知らなかったの!?!?!?」
レイジが驚いたようにつっこむ。
「いや陸上の勉強してるんだけど難しい言葉が多くてねー。ただね、何をするかよりもどうやるかだよ。」
その言葉の重みを感じたのはチームだった。
島本さんにウエイトトレーニングの動画を撮影してもらいながら、YouTubeの演者にフォームを近づけていく。
「とにかく、フォームやトレーニングの意義を見出すのは今週で終わりだからね。来週からは本格的にウエイトトレーニングの反復に入るから。」
真波先生はパイプ椅子に座りながら、何かアドバイスするわけでもなく、トレーニングの指針や工程だけを伝えた。
分からないなりに追い込んだ。
やり方とかルールとかの概念は自分たちで探させるという指導方法の真波先生はスポーツで伝えられることの限界を知っている。
技術や知識を伝えるだけのコーチやトレーナーならいくらでもいる。
その全く逆の位置に先生はいた。
トレーニングという枠組みだけを選手に提供し、それが仕上がるのを待つ。
仕上がったとしても、肯定や否定をしないで、ひたすらブラッシュアップさせる。
勿論、選手は迷う。正と負の間に置かれるから。
ただ、その間でもがき苦しむことこそが成長だと先生は言うのだ。
この理論を伝えるためには陸上競技である必要はない。
つまり、どんなスポーツにも適応している最高の指導方法である。
11月は毎日のようにウエイトトレーニングと往復フロートを続けた。
重量を上げた時の身体は鉛のように重く感じるが、フロートをすることで、筋力が身体に馴染んでいく。
強くなっている感覚が手に取るように分かる。
面白いことに初めは30kgがマックスだったのに11月が終わるころには70kgまで挙上できるようになっていた。
フォームが洗練されて、筋力も少しずつアップした。
始まったばかりの冬季練習がとても楽しみだ。